2009年4月22日水曜日

会場探し

新年度でソワソワとする4月に入りました。

チェロ弾きは、臨床実習が始まって、実にフレッシュな日々、
バイオリン弾きは、8年ぶりの引越準備で、頭がパンクしそうな日々、
ピアノ弾きは、相変わらずマイペース(?)な日々、

と三者三様でありますが、何とか、2回(だけ?!)練習できました。

いつものYAMAHAが空いてなかったので、
1時間だけ、スタンウェイを経験できました。

我らはYAMAHAで良い!と思っていたのですが、
やはり、スタンウェイの響きも、実に捨てがたいことを実感したのでした。


さて、お待たせしました。
6月に、トリオでの初ライブを決行します!!!

演奏時間1時間弱で、プログラムも組みました!!

ですが、“肝心の”ライブ会場が、まだなのです。

都内で、色々あたっているところですので、
決まりましたら、お知らせします。

もしも、私たちトリオが弾いても良いよ!
という場所情報がありましたら、ぜひとも教えて下さいませ!

2009年4月9日木曜日

マエストロのレッスン

これは、生涯の宝物になりました。

明らかに、レッスン以来、変化しているという実感があります。

「目指したい音」を生で聴けたので、それから逆算して、
弓の持ち方も、より人差し指、中指を使う奏法に、
気付いたら変わっていました。

ずっと変えたくても出来なかったことが、
一人のマエストロに出会えたことで、一変したのです。

この体験は、初めてバイオリンを習った時以来のこと!


これまで、CDで聴いた感じと、譜面のみで、
自己流に弾いてきたバイオリン弾きでした。

弾けば弾くほど、「これじゃない!」という壁を感じ、
いつか、アルゼンチンまでレッスンを受けに行きたい!
と決意を固めていたところ、思いがけず、
マエストロの来日を知ることとなりました。

これを逃したら、「次」は無い!と意を決し、
滅茶苦茶だし、失礼な文章かもしれないのは承知で、
慣れないスペイン語で、アルゼンチンのマエストロに、
コンタクトを試みたところ、有難くもご返答いただけました。

しかも、「時間が取れれば」の条件付で、ご快諾いただけたのです!

「夢じゃないか??」と思えた瞬間でしたが、
その後、スペイン語を特訓しつつ来日を待ち、
また、公演のご関係者の方々とご予定をご相談しつつ、
直接、お会いすることが叶いました。

驚くべきは、初めてお会いできたこの時、マエストロは、
既にレッスンをして下さるおつもりになられていて、
挨拶もそこそこに、日取りを確認して下さったのです。

急きょ、翌日の朝ということに決まりました。

そして、実現した3時間の初レッスン。

スペイン語は、1ヶ月の猛特訓のみでしたので、
動作に関わる言葉は理解できるものの、
「喜び」といった表現に関わる言葉が、分からず、
しばし、ジェスチャーを交えた珍問答となりました。

「感動」と「緊張」が入り混じった、この数時間は、
しかし、忘れることのできない時間となりました。

タンゴ、そして、ピアソラを弾く上での、
外してはならない“規則性”と、歌い上げる“自由性”を
知ることができました。

特に、バイオリン・ソロの時の弾き方。

テクニックじゃないんだ! コラソン(心)だよ!
この楽器に表現を込めて、歌って、歌って、歌わせること!

と、実に、忘れ難い表現で、教えて下さいました。

バイオリン奏者として、
考えて弾くこと、感情を込めること、歌い上げることの
重要性をこの日ほど、思い知らされたことはありません。

また、曲を弾いていく中で、あちこちにある「重要な音」を
いかに大事に弾くかを知ったのも、目から鱗でした。

確かに、それを大事に鳴らすことができると、
音楽になるのです!

ピアソラ以外のタンゴの曲をあまり知らなかったので、
マエストロを悲しませてしまったことには、とても悔いが残ります。

が、これから弾く上での「見取り図」を手にした実感があります。
数々のタンゴを弾くセクレートを元に、練習あるのみです。

レッスンの最後と、そして、お別れする間際にも、
「あなたには、大いに素質がありますよ。とにかく練習、練習、練習ですよ!」
と何度も声をかけて下さったことは、忘れることができません。

ぜひ、この成果をバイオリンに込め続けていきたいです。

2009年4月3日金曜日

スアレス・パスを聴きに行く~最終回

とうとう、この日が来てしまいました。

1月から始まった、マエストロたちの来日公演の最終日。

東京からでは、少し遠いので迷っていましたが、
調べると3時間程度で行けると判明し、友人の後押しもあって、
悔いの残らぬよう、心して、聴いて来ることに決めました。

はるばる(!)大津駅にたどり着くと、
喧騒と人込みの東京とは違った、新鮮な空気を感じました。

駅前から琵琶湖へ続く一本道は、やや下り坂で、
その先には、蒼い湖面も見えているという、
普段、なかなか目にすることの出来ない、趣きある風景!

時間があったので、この道を進み、湖岸を歩きながら、
目的地のびわ湖ホールへと向かいました。

このホールは、当然(!)初めてなのですが、
湖面に接した、本当に素晴らしいホールでした。

ホールの中から、広い琵琶湖を眺めることができ、
こんな素敵な眺望のあるホールを他に知りません!

そして、この日まで、入手したチケットの座席位置を
よくわかってなかったのですが、何と、前から4列目という、
ステージとの距離も間近な席でした!!

今まで、売り切れ寸前のところを慌てて購入していたために、
いつもいつも、舞台からは遠い席だったので、感激です。

やはり、早めに先手を打てた人に、この特権があるのだと思います。
早くに入手しておいて、良かった!!!

と、開演前から、いやが上にも、盛り上がってきておりました。


さて、いよいよ開演し、演奏が既に聞こえ始めながら、
幕が上がると、その間近で目にすることのできる演奏、
それだけで目頭が熱くなってきました。

多分、今までで音響もベストな環境なのか、初めて、楽団の音が、
バランス良く、しかも、何の違和感もなく聞こえたように思います。

でも、ヘルスケアの専門家の目では、一目で、
マエストロの疲労度の大きさが窺え、最後まで本当に心配でした。

それでも、それでも!!

恐らくは、満身創痍な状態な中、
そこから絞り出されるような音楽には、ただただ脱帽です。

第一部の最後の曲、「バンドネオンの嘆き」と
第二部の「ロス・マレアードス」のバイオリン・ソロは、
忘れることのできない名演でした。

もしかしたら、これが生涯で聴ける最後の生演奏かもしれない、
という思いから、初めて第一部の初っ端から、涙流しつつ聴き入っていました。

結局、これを含めて、今回の来日公演を6回聴きに行ったのですが、
やはり、最初の東京公演や、その次の川口公演の演奏は、
勢いや迫力もあって、ベストだったと思いますが、
この最終公演は、それ以上に、何やら伝わってくるものがありました。

いつもには無い、スペシャルな(!)趣向もあって、
演奏中、ダンサーたちが、楽団の皆さんの頭に山高帽をかぶせてあげたり、
手にしたお盆のクッキーを口につっこんで(!)あげたり、
と思わず、笑ってしまうような、はめ外しな場面が随所にありました!

それにしても、恐るべきは、マエストロ・レケーナのピアノの安定感でした。

時々、楽団が少し前のめり過ぎるようなテンポ感になるときにも、
ピアノがぐっと纏め上げているように思えました。

いつも違う(!)テンポの「リベルタンゴ」は、この日、
最高にすっ飛ばす(!)テンポ感で始まり、とても好きでした!

バンドネオンのソロも、コントラバホの迫力も、やっぱり大好きです。

歌手のベロニカさんの声も、本当に大好き。

そして、いつもは遠くて全然見えなかったダンサーの方々の
お顔の表情が豊かなのを新発見できたのも、感激でした。


そして、あっという間に、終演のその時は来てしまい、
本当に名残惜しい気持ちで一杯でしたが、
出演者の皆さんには、心から、おつかれさまとお伝えしたいです。


実は、わたし自身、この日の行きの新幹線で、全く予期せぬ事態、
何と、人生初めての電車酔いを経験してしまいました。

恐らく、生涯最後という感傷的な身心状態だったのと、
電車の揺れと、
密室の車内で隣りの席から漂ってくる、昼間からの(!)アルコールの臭いとで、
コロッとやられてしまったようでした。

乗り物には強い、このわたしが・・・とショックでしたが、
何とか、大津の清々しい空気に助けられました。

と、たった一日の旅でも、突如、体調不良に襲われてしまうのに、
この来日ツアー中の、皆さんの体調管理の大変さは、計り知れません。


終演後、片付けで慌しい中ではありますが、
マエストロと最後のお別れをしてきました。

顔を見るなり、「どうやって来たんだよ~」と声を上げながら、
いつものように歓待してくれました。

でも、この日、わたしのスペイン語は、いつも以上に、
どうにも不調で、あまり大したことも言えずじまいでした。

お顔を拝見して思わず、「とてもお疲れでしょう!」と肩をポンポン叩くと、
本音なのだと思いますが、
「カンサディッシモ(最高に疲れてる)!」という最上級の活用形!

そして、例の(!)「勉強しなさいよ!」と、
かすれ声になりながらも、おっしゃるので、
もう、楽器を怠けてなんかいられない状況になりましたね。

最後に、まったく言葉にならずにお別れすることになり、
それは、本当に己のスペイン語力を呪いたくなります。

でも、この来日中、マエストロから、とにかく学びに学んだので、
あとは、残りの生涯かけてでも(!)、わたしの弾くバイオリンに、
それを込め、この全ての体験をバイオリンに語らせていくだけです。

帰りは、池袋直行の夜行バスにギリギリ間に合い、
結局、往復10時間以上の旅になってしまいました。

それは、もう、身体を使った分、忘れられないものになるはずです。
この旅に、一つも悔いなしです。